レポート

2024年3月-Vol.334

まとめ

今月のポイント

18日より日銀金融政策決定会合が開かれます。昨年10月にイールドカーブ・コントロールの更なる柔軟化を図って以降は金融政策を据え置いてきましたが、1月の会合後に発表された展望レポートや植田総裁の発言では、基調的な物価上昇率が「2%の目標に向けて徐々に高まっていく」との見通しの確度が少しずつ高まっているとの認識が示されたことから、政策修正時期が近いとの見方が広がりました。その後発表された12月会合の議事要旨でも緩和策の出口に向けた議論が行われたことが明らかになっています。市場では4月会合で政策修正が行われるとの見方が多いですが、春闘の集中回答日以降に開かれる今月の会合で行われる可能性もあり、注目されます。

市場動向
国内債券 10年国債利回りは、国内の物価上昇の高まりや日銀による政策修正観測などから、上昇すると予想する。
国内株式 企業業績は来期に向け増益基調を維持することが予想されるものの、バリュエーションに割安感はなく、下落を予想する。
外国債券 <米国>FRB(連邦準備理事会)が利下げの時期を探り始めたものの、底堅い米国景気やインフレ率の高止まりが懸念されることからFRBの利下げ観測が後退する展開が継続し、金利は小幅上昇を予想する。
<欧州>金融引き締めに伴う景気悪化は懸念されるものの、ECBが利下げを急ぐ姿勢を示していないことや、米国の金利上昇などを受けて、金利は小幅上昇すると予想する。
外国株式 <米国>堅調な米国経済を背景としたソフトランディングへの期待や企業業績の増益基調が継続することから底堅い展開を予想するものの、バリュエーションに割安感はなく、高値警戒感から小幅な調整を予想する。
<欧州>インフレ鈍化による利下げ期待が下支えとなるものの、域内経済の減速や中国の景気の停滞感が重石となることや、高値警戒感から米国同様に小幅な調整を予想する。
為替市場 底堅く推移する米国景気を受けた早期の利下げ開始観測の後退がドル高要因となるものの、日銀の金融政策の修正観測などから、ドル円は横ばいでの推移を予想する。ECBが早期の利下げ開始に否定的であることはユーロ高要因となるものの、欧州の景気減速懸念などが下落要因となり、ユーロは対ドルで小幅下落を予想する。

ポイント

18日より日銀金融政策決定会合が開かれます。昨年10月にイールドカーブ・コントロールの更なる柔軟化を図って以降は金融政策を据え置いてきましたが、1月の会合後に発表された展望レポートや植田総裁の発言では、基調的な物価上昇率が「2%の目標に向けて徐々に高まっていく」との見通しの確度が少しずつ高まっているとの認識が示されたことから、政策修正時期が近いとの見方が広がりました。その後発表された12月会合の議事要旨でも緩和策の出口に向けた議論が行われたことが明らかになっています。市場では4月会合で政策修正が行われるとの見方が多いですが、春闘の集中回答日以降に開かれる今月の会合で行われる可能性もあり、注目されます。

今月の主なポイント
3/7 (欧)ECB(欧州中央銀行)理事会・・・現状維持が見込まれる
3/13 (日)春闘集中回答日・・・昨年に続き高い賃金上昇率が見込まれる
3/18 (日)日銀金融政策決定会合(19日まで)・・・上記参照
3/19 (米)FOMC(連邦公開市場委員会)(20日まで)・・・現状維持が見込まれる
消費者物価指数

出所:日本銀行

国内債券

指標銘柄/新発10年国債
2月の国内債券市場

2月の国内長期金利は、日銀による政策修正観測が重石となったものの、長期債、超長期債の入札が順調な結果となるなど、良好な需給環境を背景に低下し、月末は0.710%で終了した。

国内長期金利は、前半、10年債入札が順調な結果となったことや、内田日銀副総裁が追加利上げに対して慎重な姿勢を示したことなどから低下する場面もあった一方で、米国金利の上昇などを受けて上昇するなど、方向感に乏しい展開となった。後半、日銀による政策修正観測が重石となったものの、流動性供給入札や20年債入札が順調な結果となるなど、良好な需給環境を背景に低下し、月末は0.710%で終了した。

イールドカーブについては、良好な需給環境を背景に、超長期ゾーン中心に金利が低下し、フラット化した。信用スプレッドは、小幅に縮小した。

3月の国内債券市場

3月の債券市場は、上昇を予想する。国内の物価上昇の高まりや日銀による政策修正観測などが金利の上昇要因となるだろう。3月の債券市場のポイントは、①日銀の動向、②米国金利の動向、③国内債券市場の需給動向と考える。

①<日銀の動向>1月の日銀金融政策決定会合以降、市場では3月または4月会合でのマイナス金利解除が意識されると同時に、その後の追加利上げを巡る思惑が燻っている。今後は、特に春闘の動向に注目が集まるなか、3月会合に向けては、金利上昇余地を試す展開になりやすいと予想する。

②<米国金利の動向>米国市場では、底堅い米国経済を背景に、早期の利下げ観測が後退している。今後発表される雇用統計やCPI(消費者物価指数)などの経済指標の結果によっては、金融政策の見通しを巡る思惑から、米国長期金利の変動幅が大きくなり、国内金利に波及することが考えられる。

③<国内債券市場の需給動向>3月の国債入札スケジュールとしては、10年債(5日)、30年債(7日)、20年債(14日)、40年債(27日)などが予定されている。2月に実施された国債入札はいずれも順調な結果となった。足元では、金利水準が切り下がっており、まずは今月最初の超長期債の入札として7日に実施される30年債入札において、投資家需要が確認できるかが注目であり、結果によっては金利が大きく変動する可能性も考えられ、注意が必要である。

イールドカーブは、スティープ化すると予想する。信用スプレッドは、横ばいで推移すると予想する。

国内株式

日経平均株価225種東証株価指数(TOPIX)
2月の国内株式市場

2月の株式市場は、堅調な米経済指標を背景とした円安を追い風に、好調な国内企業や海外の半導体関連企業の決算を受けて上昇基調が続いた。日経平均株価は史上最高値を更新し、7.94%の上昇となった。

月初は、前月の大幅な上昇を受けた高値警戒感から小幅な値動きとなったものの、堅調な米雇用統計や内田日銀副総裁の講演から円安傾向が続くなか、好決算を発表した大手自動車メーカーなど輸送用機器セクターが上昇し、徐々に上げ幅を拡大した。中旬には、海外の半導体企業の好決算を受け関連銘柄が急伸し、政策保有株の見直しの方針が好感された損保株も急騰した。下旬にかけても中国の旧正月期間中の堅調な消費が安心材料となり、米半導体企業の市場予想を上回る決算などから上昇が続いた。業種別には、輸送用機器、保険、石油・石炭などが上昇し、繊維、海運、食料品などが下落した。

3月の国内株式市場

堅調な米経済などを背景に、企業業績は来期に向け増益基調を維持することが予想され、春闘の本格化により賃上げと経済成長の好循環への期待が膨らむものの、バリュエーションに割安感はなく、年度末の年金基金等のリバランスも需給悪化要因となることから、下落を予想する。

日米で金融政策決定会合が予定されており、FOMC(連邦公開市場委員会)が足元の物価指標の上振れにより利下げの軌道を上方修正した場合や、日銀の金融政策決定会合でマイナス金利の解除等の金融政策の変更が行われた場合は株価を押し下げる要因となり、警戒が必要だろう。

第3四半期決算では、輸出関連企業を中心に業績が上振れし、1-3月期の業績についても会社計画の前提為替レートが足元のレートより円高方向に設定されていることから、一層の上振れ余地があるだろう。一方で、株式市場においては来期の業績見通しを踏まえた銘柄選別が活発化することが予想され、半導体市場の拡大から成長が期待されるセクターや、日銀の金融政策正常化の恩恵を受ける金融セクターなどに注目したい。

企業業績は増益基調を維持し、引き続き株主還元策の拡充が期待できる上に、企業の資本効率改善に向けた取組みへの期待や新NISA(少額投資非課税制度)の導入から株式への需要は底堅いと思われるものの、日経平均株価は年初から17.04%上昇し、一部指標では過熱感も見られる。バリュエーションに割安感はなく、年度末にあたる3月は年金基金等のリバランスや企業の持ち合い解消の売りなどで通常月より大きな売り圧力が生じることが予想されることから、一旦調整することとなりそうだ。

外国債券

米10年国債ドイツ10年国債
2月の米国債券市場

2月の米国の長期金利は、堅調な米国の経済指標などを受けて、FRB(連邦準備理事会)の早期の利下げ観測が後退したことなどから、上昇した。

前半、雇用統計で労働市場の底堅さが示されたことなどから、上昇基調となった。中旬、米CPI(消費者物価指数)が市場予想を上回り、FRBの早期の利下げ期待が後退したことなどから、さらに上げ幅を拡大し、一時、4.3%台半ばまで上昇した。その後は、材料に乏しいなかで、高水準でのもみ合いとなり、月末は4.2%台半ばとなった。

イールドカーブは、FRBの早期の利下げ観測の後退などを受けて、短期ゾーンの金利が相対的に大きく上昇したことから、フラット化した。

2月の欧州債券市場

2月の欧州(ドイツ)の長期金利は、ECB(欧州中央銀行)の早期の利下げ観測が後退したことなどから、上昇した。

月初に発表されたユーロ圏のCPIが予想を上回り、ECBの利下げ期待が後退したことや、米国の長期金利が上昇したことなどから、緩やかに上昇基調となった。その後は、ユーロ圏のGDP速報値が弱い結果となったことなどから、もみ合いとなり、月末は2.4%台前半となった。

ドイツ国債のイールドカーブは、フラット化した。周辺国国債とドイツ国債の利回り差は、ECBの量的引き締めへの懸念が後退したことなどから、縮小した。

3月の米国債券市場

3月の米国の長期金利は、FRBが利下げの時期を探り始めたものの、底堅い米国景気やインフレ率の高止まりが懸念されることからFRBの利下げ観測が後退する展開が継続し、金利は小幅上昇を予想する。

3月の欧州債券市場

3月の欧州(ドイツ)の長期金利は、金融引き締めに伴う景気悪化は懸念されるものの、ECBが利下げを急ぐ姿勢を示していないことや、米国の金利上昇などを受けて、金利は小幅上昇すると予想する。ECBによる量的引き締めなどから、周辺国の対ドイツ国債スプレッドは緩やかに拡大すると予想する。

外国株式

米国S&P500指数ダウ工業株30種平均ドイツDAX指数イギリスFT-SE(100種)指数香港ハンセン指数
2月の米国株式市場

2月の米国株式市場は、S&P500指数で5.17%の上昇となった。中旬に発表されたCPI(消費者物価指数)が市場予想を上回る伸びを示し、FRB(連邦準備理事会)による早期の利下げ期待が後退したことが重石となったものの、半導体大手企業の好決算を受け、AI関連銘柄に対する期待が高まったことなどで、史上最高値を更新した。セクターでは、一般消費財・サービス、資本財・サービス、素材などを中心に全てのセクターが上昇した。

2月の欧州株式市場

2月の欧州株式市場は上昇した。英国のCPIが市場予想を下回ったことが好感されたほか、米半導体大手企業の好決算によるAI関連銘柄への期待が一段と高まったことに加え、ユーロ圏のサービス業を中心とした景況感の改善などが下支えとなり、上昇した。国別では、イタリア、オランダ、スウェーデンなどが上昇する一方、オーストリア、ポルトガル、フィンランドなどが下落した。セクターでは、一般消費財・サービス、情報技術、資本財・サービスなどが上昇する一方、不動産、公益、生活必需品などが下落した。

2月の香港株式市場

2月の香港株式市場は上昇した。春節期間における堅調な個人消費や旅行動向が好感されたほか、人民銀行が5年物ローン・プライムレートを引き下げたことに加え、中国当局による空売り規制などを含む株価対策が下支えとなり、上昇した。

3月の米国株式市場

3月の米国株式市場は、小幅な下落を予想する。堅調な米国経済を背景としたソフトランディングへの期待や企業業績の増益基調が継続し、底堅い展開を予想するものの、バリュエーションに割安感はなく、高値警戒感から小幅な調整を予想する。

3月の欧州株式市場

3月の欧州株式市場は、小幅な下落を予想する。インフレ鈍化による利下げ期待が下支えとなるものの、域内経済の減速や中国の景気の停滞感が重石となることや、高値警戒感から米国同様に小幅な調整を予想する。

3月の香港株式市場

3月の香港株式市場は、横ばいを予想する。中国では、全人代での経済対策などが注目されるほか、5年物ローン・プライムレートの引き下げが不動産市場の安定化に繋がるのかも今後の焦点となるだろう。景気や経済政策を見極めようとする姿勢は継続するものの、株価対策や割安感も台頭しており、底堅い展開を予想する。

為替動向

為替(ドル/円)為替(ドル/ユーロ)為替(ユーロ/円)
2月のドル/円相場

2月のドル/円相場は、日銀がマイナス金利を解除した後も緩和的な金融政策を続けるとの見方や、FRB(連邦準備理事会)の早期の利下げ観測が後退したことなどから、上昇した。

前半、内田日銀副総裁がマイナス金利の解除後も追加利上げに対して慎重な姿勢を示したことなどから円安圧力が継続し、上昇基調となった。中旬、米CPI(消費者物価指数)が予想を上回り、FRBの早期の利下げ観測が後退したことで上げ幅を拡大し、2023年11月以来、約3ヵ月ぶりに150円台後半まで上昇した。その後は、方向感に欠ける展開が続いたものの、月末にかけてはやや上げ幅を縮小し、月末は149円台後半となった。

2月のユーロ/ドル相場

2月のユーロ/ドル相場は、FRBの早期の利下げ観測が後退したことでユーロが下落し、月末は1.08ドル台前半となった。

2月のユーロ/円相場

2月のユーロ/円相場は、ユーロ高円安となった。ドルに対して円・ユーロは下落したものの、円の下落幅が大きくなったためユーロ高円安となり、月末は161円台後半となった。

3月のドル/円相場

3月のドル/円相場は、底堅く推移する米国景気を受けた早期の利下げ開始観測の後退がドル高要因となるものの、日銀の金融政策の修正観測などから、横ばいでの推移を予想する。

3月のユーロ/ドル相場

3月のユーロ/ドル相場は、ECB(欧州中央銀行)が早期の利下げ開始に否定的であることはユーロ高要因となるものの、欧州の景気減速懸念などが下落要因となり、ユーロは小幅下落を予想する。

3月のユーロ/円相場

3月のユーロ/円相場は、下落すると予想する。ドルは円に対して横ばいで推移するが、ユーロに対して上昇となるため、ユーロ/円は下落を予想する。

虫眼鏡

『藪の中~有価証券報告書の男女賃金格差の開示に思うこと~』

「自分の経済システムの重要な関数の一つに、リスクを表す代理変数と性別を表すダミー変数を使わねばならなかった不幸な計量経済学者のことを忘れないでおこう。」

フリッツ・マッハループ

2022年7月の女性活躍推進法に関する省令改正を経て、2023年1月、開示府令の改正により2023年3月期決算から有価証券報告書に人的資本・多様性の情報を開示することが求められるようになりました。具体的には、「従業員の状況」に、既存の項目に加えて「女性管理職比率」、「男性育児休業取得率」、「男女間賃金格差」が記載されることになります。表1は、大手小売企業の2022年開示例です。

表1:大手小売企業の開示例

大手小売企業の開示例

ESGの取組みが積極的な企業においては、こうしたデータは以前よりホームページや統合報告書等で開示済みであることが多いのですが、そうでない企業にとっては新たな課題でもあり、情報の整理と透明性の向上が求められます。こうした開示が進むことで、従業員やステークホルダーとのコミュニケーションが強化され、企業の社会的な責任を果たす一助となることが期待されます。その一方で、こうした記述統計の要約的な開示で、果たして正しく企業の男女間の賃金格差を把握できるのかについては注意する必要があります。どういうことか例を挙げて説明してみます。

表2:企業Aの賃金データ

表3:企業Aの平均男女別賃金

表4:企業Aの平均男女別勤続年数

表2のような仮想の企業Aの賃金データがあったとします。このデータから、男女賃金格差を計算すると、表3のようになります。これを見る限り、正規・非正規とも男女賃金差異(女性平均賃金/男性平均賃金)は100%を超えており、この企業には男女賃金格差はなく、逆に女性が男性よりも厚遇を受けているように見えます。この結論は正しいでしょうか?表4の男女の勤続期間の比較を見ると、女性の勤続年数の方が長いことが見て取れます。賃金に年功序列が反映されるような会社の場合、年次が長いほど年収が高くなる傾向があるので、正確な男女賃金格差を論じるためには、この影響を考慮する必要があります。そこで企業Aの賃金決定式として①のような回帰モデルを推定することにします。与えられたデータには学歴の変数もあるので、これも組み入れることにします。

年収=β0+β1*勤続期間+β2*学歴_高校    +β3*学歴_大学+β4*雇用_正規+u ----①

ここで、学歴_高校は、最終学歴が高校であれば1、それ以外(大学卒もしくは大学院卒)であれば0をとるダミー変数、学歴_大学は、最終学歴が大学であれば1、それ以外(高校卒もしくは大学院卒)であれば0をとるダミー変数、雇用_正規は雇用形態が正規雇用であれば1、それ以外(非正規雇用)であれば0をとるダミー変数です。uはモデルでは説明しきれない誤差項で、何らかの確率分布に従うランダムな変数です。この回帰分析の結果は表5のようになりました。

表5:回帰モデル①の推定結果

この表から、勤続期間が1年伸びるごとに年収が約16万円上昇し、卒業証書の価値としては、高校卒は大学院卒に比べて88万円低く、逆に大学卒は大学院卒に比べて4万円ほど高く評価されていることがわかります。通常、大学卒より大学院卒の方が専門知識は高いため、収入も高くなるのが妥当と考えられますが、この結果からは企業Aは大学院で学んできた知識を重視していないのかもしれません(技術系より事務系が幅を利かしている会社ではありそうなことです)。統計学的には、この変数の推定値のt値は0.40と有意性は低く、説明力はあまりないようです。とりあえず推定結果の解釈は置いておき、定式化の妥当性について見てみましょう。勤続期間と標準化残差(給与の実績値と推定値の差のデータが平均ゼロ、標準偏差1になるように変換したもの)をプロットした図1を見てみると、残差は0を中心に±2の範囲内に収まっていて外れ値はありません。しかしながら散らばり具合をよく見てみると、残差はランダムに散らばっておらず、大きく3つ水準に分かれていることが見て取れます。これは定式化がうまくいっていない(モデルに追加で考慮しなければならない変数がある)ことを示唆しています。

図1:回帰モデル①の残差プロット(全体)

図2:回帰モデル①の残差プロット(分類別)

そこで詳細に残差分析をしてみると、学歴(高校卒、大学卒、大学院卒の3つ)と雇用形態(正規、非正規の2つ)の組み合わせの6つの層からなることがわかります(図2)。したがって、回帰式①に学歴と雇用形態の交互作用効果(学歴ダミー変数×雇用形態ダミー変数で計算される変数)を組み込むことが望ましいようです。そのため、これらの変数を取り入れた新たな年収決定モデルとして②を推定することにします。

賃金=β0+β1*勤続期間+β2*学歴_高校+β3*学歴_大学+β4*雇用_正規+β5*高卒_正規+β6*大卒_正規+誤差項 ----②

この式の推定結果は表6のようになります。モデル①と比べてモデル②の自由度調整済み決定係数は上昇し、各説明変数の回帰係数のt値もすべて有意であることから新しいモデルは申し分がないようです。念のため残差プロットも見てみましょう(図3)。

表6:回帰モデル②の推定結果

図3:回帰モデル②の残差プロット

すると残差に二つの外れ値があるのがわかります。これは何なのでしょうか?各残差がどの職員のものかを見てみると、33番と40番の職員でした。この職員は他の職員と何が違うのか表2のデータを見てみると、なんと二人とも女性でした。そこで、性別ダミー変数(女性であれば1、男性であれば0)をモデル②に加えたモデル③

賃金=β0+β1*勤続期間+β2*学歴_高校+β3*学歴_大学+β4*雇用_正規+β5*高卒_正規+β6*大卒_正規+β7*性別_女性+u ----③

で再推定したところ、表7のようになりました。各回帰係数はすべて有意であり、自由度調整済み決定係数もほぼ1近くにまで上昇しました。図4の残差プロットを見ても外れ値が消え、0を中心に±2の範囲内でランダムに散らばっており、企業Aの賃金を推定するモデルとしてふさわしいものと結論づけることができます。

表7:回帰モデル③の推定結果

図4:回帰モデル③の残差プロット

このモデルが正しいとした場合、性別ダミーの回帰係数を見てみると、女性であるということで年収が32万円ほど低くなっていることがわかります。しかもt値が絶対値で見ると21と非常に大きく、性別が賃金決定に有意に影響を与えており、この会社には女性に不利になるような男女賃金格差があるという結果になりました。これは最初の有価証券報告書ベースで開示されているような、単純な集計表に基づく知見とは真逆の結論です。果たしてどちらが正しいのでしょうか?男女賃金格差があるかどうかを調べる場合、賃金決定に影響する変数の効果を除去しなければ正しい格差は測定できません。その意味では後者の結論が正しいような気もします。ところが…

この結果に驚いた、日ごろダイバーシティを口やかましく唱えていたA社の社長が人事担当者に問い合わせると、職員33は実はコンプライアンス上、不適切な行為を行ったことで、当該年度に関して減給処分を受けていたこと、職員44については当該年度に育児休業をとって無給の期間があることがわかりました。たまたまモデルに考慮していなかった特殊事情がサンプル数の少ない女性に生じたために、男女の賃金格差につながっていた可能性が出てきました。誤差項としてまとめられてしまっていたこの賞罰ダミー変数や育児休業ダミー変数を加えて再推定するべきでしょうか?表2のデータのみを使用する場合、これら二つの新変数は性別ダミー変数と多重共線性の問題(変数間の相関が高いため、回帰係数の標準誤差が大きくなってしまう問題)が生じてしまうため、推定結果の信頼性が低くなることが予想されます。正しい方法は、二つのダミー変数をモデルに加えた上でサンプル数を増やして(例えば過去のデータを追加する)多重共線性を軽減すようにするか、この二つのダミー変数および性別ダミー変数をモデルから除外し、二人のデータをサンプルから削除してモデル②を推定するかです。ただ、この会社の問題点は、おそらく男女の賃金格差にあるのではなく、女性社員が圧倒的に少ないことに見られる男女の雇用機会の格差(の可能性)にあると思います。

以上、男女賃金格差を正しく測定するのは言うほど簡単ではないことを見てきました。ただし、筆者はこうした男女賃金格差の開示が無意味だと言いたいわけではありません。男女賃金差異の公表は、企業が自らの賃金制度を評価し、改善を進めるための指標として利用できます。この情報を元に、賃金の透明性や公平性を高めるための措置を検討し、従業員とのコミュニケーションを通じて改善を実現することが重要です。